こんにちは。
今日はリハビリテーションの知識や技術についてのお話ではないのですが、リハビリテーションマインドとして、僕自身がいつも考えていることについてお話したいと思っています。テーマでもあるように、今日は「マイノリティ」と「マジョリティ」についての考え方から少しお話しようと思います。
【マジョリティとマイノリティ】
まずマジョリティという言葉についてですが、一般的には「社会的少数者」という意味になるかと思います。例えば、日本に住んでいる外国籍の方であったり、左利きの方であったりと、その概念は多種多様に構成されているといえます。反対にマイノリティは「社会的多数者」と呼ばれ、社会はマイノリティ側に傾いた構成になっていると考えられます。今はユニバーサルデザインやバリアフリーといった考え方が主流になり、誰でも安心して生活できるような社会になってきていますが、以前はよりマイノリティに沿った社会構成であったと感じています。
【作業療法士にとってのマジョリティ】
ではこの概念からどのようにリハビリテーションに結びつけるのか?疑問に思う方もいるかもしれません。では作業療法士という仕事の特性から考えてみましょう。作業療法士における臨床推論(クリニカルリーズニング)の根っこの部分にあるのは、”ナラティブ”、いわゆるその方のライフストーリーにあるといえます。この”ナラティブ”というものは、文化やその人の考え方そのものが含まれています。これらを尊重し、今後の生活に結びつけていく仕事こそが作業療法の根幹だと考えています。
たとえ同じ疾患だったとしても、その人それぞれに個性があるのです。例えば掘りごたつでの生活を送ってきた方にとっての当たり前は、テーブルでの生活ではなく掘りごたつでの生活になります。こういった、対象者の”ナラティブ”を大切にし、どのような生活を送りたいのかを考え、支援していける作業療法士でありたいと常日頃から思っています。
【リハビリテーション専門職自身にとってのマジョリティ】
次はリハビリテーション専門職自身にとってのマジョリティとは何か?について話していきたいと思います。理学療法士・作業療法士の養成校が増大している昨今、診療において一定の治療結果を担保することができているのか?専門職としての水準を保つことができているのか?多くの議論が巻き起こっていると感じています。そして、これは他人ごとではなく自分自身の大きな問題でもあるとも感じています。
作業療法士という職業の需要と供給のバランスが崩れるのはもうすぐそこまで来ています。そこで、作業療法士としてどうありたいのか?を皆が考えることが大切だと思っています。「勉強しないとなあ。」や「全然できてないなあ。」と思っている方が大半だとは思いますが、本当に危機感をもっている方は少数派だと感じます。なぜなら、ほとんどの作業療法士が不安を感じており、かつ皆が不安だから大丈夫と思っているからです。これこそ、マイノリティ側の考え方であると思いますが、将来的に生き残るのは少なくともマジョリティ側だと思っています。
皆の当たり前にいかに疑問を持つことができるのか?ビジョンをもって仕事をすることができるかが、今後の自分自身の将来を左右すると思っています。日本人の国民柄ということもありますが、皆が右を向くと一緒に右を向く傾向にある方が多いと思っています。これが間違っているとは思いません。ただ、右を向く前に一度自分で考えることが大切ではないかと考えています。そして、他者と自分を比較するのではなく、自分にとって何が大切なのか?自分は何者なのかを考えることが、今後の自分を創り上げる重要な鍵になっていると思います。
今日は僕が日々考えていることについて、マイノリティとマジョリティの視点からお話させていただきました。このブログにおいて、作業療法士にとって必要な知識や技術のお話はもちろんですが、こういったリハビリテーションマインドについてもちょくちょくお話させていただければと思っています。一作業療法士の一考え方だと思って聞いていただけたら幸いです。
では今日はこの辺で。
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